ご挨拶
はじめまして、神谷ケイスケと申します。医師として働きながら、人と人生を描く画家、メディカルイラストレーターとして活動しております。簡単に自己紹介させてください。
出身は岐阜県岐阜市で、田んぼに囲まれた田舎で育ちました。幼少期からクリエイティブなことが大好きで、白紙を見つけては絵を描く少年でした。学生時代はちょっとした絵画コンクールの賞をいただいたり、イベント事で絵が必要になった時は率先して引き受けていました。高校進学、大学進学のタイミングでは絵画や漫画制作の道に進むか非常に葛藤しながらも勉学、ひいては医師の道へ進んでいきました。医学部を目指したきっかけの一つに乳癌で病死した母の存在があります。幼少期に母は乳癌に罹患し、私が12歳の時逝去しました。医学部進学を決めた当時は周囲から「お母さんの影響で、偉いね」と言われることに嫌悪感があり、「安定してるから」と誤魔化したりしていました。しかしやはり心の奥底では、この辛い経験を最も活かすことができ、かつ外科手術=クリエイティブな仕事に就けるという理由で医学部へ進学しました。
診療科はほぼ迷いなく形成外科を選択しました。形成外科というのは一般に聞き馴染みの少ない診療科の一つです。形成外科の診療内容は外傷(顔面骨骨折や熱傷)から悪性腫瘍切除後の再建(乳房再建や頭頸部再建)、床ずれ、美容外科まで多岐にわたり、外科系医師の中でも「外見」に特化しているという点で他科と大きく異なります。なぜ形成外科?と言われると、理由は大きく2つあり下記の通りです。
①母の影響
当時の乳癌手術はハルステッド手術という、広範囲な切除(癌のある乳房だけでなく、大胸筋、小胸筋、周囲のリンパ節を全て切除)が主流でした。少し専門的な内容になってしまい申し訳ないのですが、要するにこの手術をすると肋骨が浮き出るような見た目になり、リンパ浮腫も併発しやすくなります。母も例にもれず、その整容性とリンパ浮腫に非常に悩んでいる姿を息子として目の当たりにしてきました。私が医師になった頃には乳癌手術の内容が変わり、乳房再建術が保険適用されていたことから、乳房切除後の整容性を保つ乳房再建領域に携わりたいと強く思いました。実は医師の中には、「命を救うことこそ医師冥利に尽きる、外見をいじる外科は外道」的な考え方を持つ方は少なくありません。そんな中で男性医師ではあるけれども、女性の乳房の喪失に伴う悲歎を痛いほど理解できることが他者とは違う自分の大きな強みであり、乳房再建に対して一種の使命感がありました。
②最もクリエイティブな外科手術が可能
先述した通り、絵の道へ進もうか悩む中で医師という職業を選択しました。絵とは性質が異なりますが、外見をより良くしていく手術は他科の手術(癌切除等)よりも創造性を感じ、また手先が器用と自負していたため、自分にぴったりの診療科であると感じていました。
そんなこんなで乳房再建症例数日本一のがん研有明病院形成外科で働き始めました。やるからにはとがん研に応募し、当時岐阜県の田舎で研修医をしていた自分を拾っていただいたことを今でも深く感謝しております。実際に働く形成外科医は非常にやりがいあり、日本一の乳房再建外科医になりたいと日々奮闘していました。また、この頃から医学書、医療機器パンフレット、論文等のメディカルイラストレーション制作を開始しました。ちょっとしたイラストレーションなのですが、私が最も好きな【絵を描くこと】を仕事にできることに喜びを感じていました。
形成外科医として成長する一方で、心に引っかかる部分が出てきました。乳房再建術の目的は、簡単に言ってしまえば【乳癌で失った乳房を健側乳房に可能な限り近づけること】です。私の周囲の形成外科医は皆非常に優秀で、そのためのプロセスをほぼ把握・共有しており、定型的に手術に臨める環境でした。つまり「こういった場合はこうすると良い」といった作業の繰り返しで、多くの症例が最終的な目標:整容性の優れた乳房再建に到達できるということです(もちろん手術の基本操作ができる前提で)。オペレーターが誰であっても一定の技術を担保できることは、国民皆保険制度の日本において素晴らしいことに間違いないです。しかしながら、「自分の周りにはこんなに熱意を持って働く形成外科医がたくさんいる。もし私の妻が乳癌に罹患した時、手術をお願いしたい乳腺外科医、再建外科医はたくさんいる。」と感じると、自分の存在意義に疑問を抱くようになりました。憧れていた形成外科医になって実際に患者様を救う達成感は確かにありつつも、浅はかだとは思いますが【自分にしかできないこと】とは違うのではないか、と。ひどく気が落ち込み、自分を見つめ直す期間がありました。
絵を描くことが大好きな自分
幼少期に母の闘病を目の当たりにした経験
医師としての経験
これらを通して私ができることは何かないかとずっと考えておりました。それまで医療に関する絵はメディカルイラストレーションぐらいだったのですが、ある日ふと「はじめて自分が執刀した乳房再建術を思い返して抽象画を描いてみよう」と思い、描いた作品が、ホームページトップにも載っているこちらの作品です。
《First Case》
2022 アクリル
患者様の許可を得ていないので簡単な説明になりますが、中学生のお子様がいらっしゃる50代女性の乳癌術後に対して、DIEP flapを用いた自家組織乳房再建術を行いました。また小難しい言葉を並べて申し訳ございません。「お腹の皮膚と脂肪、それらを栄養する血管」を一塊に採取して、お胸の奥にある血管と「それらを栄養する血管」を顕微鏡下で吻合し血流を再開させ、乳癌切除でなくなった組織を再建する手術となります。自分自身の緊張、患者様の憂苦、現場の緊迫感、手術の大胆さと繊細さ、血生臭さと華やかさ、術後の美しさといったものを描きました。ちなみに右下に描かれている黄色いものが「お腹の皮膚と脂肪、それらを栄養する血管:皮弁」です。
この作品が仕上がった直後に、「この作品を公開し、これまでの経験を活かした絵画制作を続けていこう」と決意しました。言葉で言い表すのが難しいですが、いわゆるビビッときたってやつです。「人、人生、病、生死といった領域で、自分にしか描けない作品がある」と確信しました。丁度その頃、普段本をあまり読まない私が《後世への最大遺物 内村鑑三》を手に取る機会があり、大きな影響を受けました。内村氏は後世に遺すものとしてお金、事業、思想を挙げており、これらには才能が必要である一方で、勇ましい高尚なる生涯 は誰もが遺せる最大遺物なのだと。はじめは恣意的であった「人生を描きたい」という衝動が、これはまさしく勇ましい高尚なる生涯を遺す一つの形態なのではないかと思い至りました。人生を対象とした作品を制作し人々の最大遺物を積み重ねていくことで、少しずつかもしれないけれど、確かに社会を豊かに発展させていくのではないかと。「何を大それたことを」とお思いになるかもしれないですが、これが間違いなく私の制作エネルギーとなっています。
「簡単に自己紹介させてください」と記しておきながら、長々と失礼いたしました。また、お読みいただきありがとうございます。ぜひごゆっくり、作品やブログ等をご覧になっていってください。
2023/06/12 神谷ケイスケ
経歴
Artist
2020/04 | 医学書、医療機器パンフレット、論文の メディカルイラストレーション制作事業を開始 |
2022/04 | 対象物を人、人生とした抽象画 (アクリル画、油彩画)を描きはじめる |
2023/06 | 株式会社セラヴィ設立 |
Doctor
2012/03 | 岐阜県立岐阜高等学校 卒業 |
2018/03 | 旭川医科大学 医学部医学科 卒業 |
2018/04 | 中部国際医療センター 初期研修医 |
2020/04 | がん研有明病院 形成外科 |
2021/04 | 聖路加国際病院 形成外科 |
2022/04 | 埼玉医科大学国際医療センター 形成外科 助教 |
2023/07 | 大手美容外科 |